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「エンタメと社会問題」「オレはお前たちの物語にはならない」「新型コロナとスイッチ」、『MIU404』最終回の感想

MIU404 DVD-BOX

TBSテレビの金曜ドラマ『MIU404』が最終回を迎えた。本作は「脚本:野木亜紀子」「プロデュース:新井順子」「演出:塚原あゆ子」の『アンナチュラル』チームが手がけた綾野剛・星野源主演オリジナルドラマ。物語は犯人逮捕にすべてを懸ける初動捜査のプロフェッショナルである機動捜査隊である「第4機動捜査隊」が24時間というタイムリミットの中で事件解決を目指すさまを1話完結で描いていくという内容。

 

  • エンタメと社会問題

毎週ここまで人を申し訳ない気持ちにさせるドラマはあるのだろうか、それが自分の率直な感想だ。毎週毎話楽しく視聴し、自分なりの解釈を考え、それと答え合わせをする意味でTwitterの「#MIU404」をフリップすると、そこでは自分の考えていた浅はかな解釈の2層も3層も深いところで考察合戦が繰り広げられていた。それを見るたびに自分の社会問題への意識の低さや教養のなさを実感させられて、「あっ、なんかこの作品の根底にあるメッセージみたいなの全然読み取れてなかったみたいだわ… なんか、ゴメン…」みたいな、そんな居た堪れない気分にさせられる。SNSとは怖い空間で「もしかして、自分なんかがこのドラマのこと語っちゃったら場違いなんかじゃないか…」くらいの気持ちにもさせられた。

ただ一方でこの作品はそういう作品なのだろう、とも思う。現に脚本家の野木亜紀子さんは東京新聞のインタビューで「今は『一見分かりやすいようで、複雑さを内包したもの』を作ろうとしています」「放送中の『MIU404』(TBS系)は、プライムタイムのドラマらしいエンタメ要素を入れつつも、今の日本で忌避されがちな社会問題を取り入れています」と述べている。個人的に「社会問題を取り扱う作品」は大切だと思っているけど、「社会問題を取り扱っていることを前面に押し出している作品」は基本的に「初めからその社会問題に興味・関心がある人」しか観ないで、「その社会問題に全く興味のない人」からは触れられない傾向にあると感じる。そうなると「意識が高い人」が「意識の高い作品」に触れることで問題意識や危機感を高める一方で、「興味のない人」との意識の差はドンドン大きくなっていき、両者がぶつかることで結果的に残念な感じになっているのをSNSなどで目撃したことがある人も少なくないはずだ。

だからそういう自分みたいな「社会問題への意識が低い人」にその問題意識を共有させるキッカケになるのは、本作のような「一見、分かりやすいエンタメ作品だけど、観終わった後にちょっと社会の見方が変わってる」みたいな、そんなエンタメ作品なのではないかと思う。現に自分は野木亜紀子さんの作品限らず、間口の広いエンタメ作品によって、そういうキッカケやヒントを与えられ続けてきた。だから、こういうタイプの作品はこれからも作られ続けて欲しいなと感じる。

 

以下、最終回のネタバレ

 

 

  • 物語を作って酔う「気持ち悪さ」

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本作では菅田将暉演じる久住(くずみ)という違法ドラッグ「ドーナツEP」の売人の存在が物語の軸となっている。久住は表向きはフランクで親切な好意的な人物だが、「五味(ゴミ)」や「トラッシュ(ガラクタ)」など複数の名前を使い分け、相手に合わせたた嘘の身の上話で他人の心を掴んでは犯罪に引き込み、自分にとって都合が悪くなると簡単に切り捨てるという設定だ。久住は最終回で警察に逮捕されるが、星野源演じる志摩の事情聴取に以下のような供述をする。

志摩「名前は?本当の名前」

久住「俺は久住…五味…トラッシュ…バスラー…スレイキー」

志摩「どこで育った?」

久住「…何がいい?不幸な生い立ち?歪んだ幼少期の思い出?虐められた過去?ん?どれがいい?オレはお前たちの物語にはならない」

そして以下がインタビューで野木亜紀子さんの「今気になっている世の中の理不尽」への回答。

とにかく今の世の中ってなんでもカテゴライズして、そのどれかに勝手に当てはめようとします。勝手に誰かを決めつけようともするし、何を言ってもそれぞれ勝手に好きなように解釈する。みんな勝手に誰かをカテゴライズして勝手にレッテルをはって、好きに見るわけです。その時、相手の本質なんて実はそんなに興味もないんですよね。自分の尺度でしか見ないというか…

「MIU404」最終回目前に脚本・野木亜紀子氏を直撃取材!「プライムタイムの民放ドラマで堂々と社会問題を扱うこと自体に意義がある」 | TVガイド

野木さんが実際問題、「オレはお前たちの物語にはならない」というセリフにどういう意図を込めて書いたかは定かではないが、個人的にはこのセリフが一番胸に突き刺さった。その理由は自分が犯罪者に限らず、何か問題が起きると自分含めて多くの人がその問題で注目を集める人物の物語を断片的な情報から勝手に作って、それに酔って「気持ち良く」なるという現象に時折物凄い「気持ち悪さ」を感じるからだ。だからこのセリフは自分にとって、何かこう「お前もオレの物語で気持ち良くなりたかったのか?」と問われているようで、物凄く胸に突き刺さったし、久住のバックボーンが語られないところに、製作陣のメッセージが込められているのではないかと思った。勿論、これも勝手に自分が作った物語の可能性もあるが…

 

※ここでいう「気持ち良くなる」はその人物を批判するときとか、同情するときか、様々な場面を想定している

 

 

  • 「新型コロナウイルス」という「スイッチ」

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本作では「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」、俗に言う「ピタゴラ装置」を使って、人生は様々な「スイッチ」によって行き先を変えるということが繰り返し提示されてきた。本作は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて4月放送開始だった本来の予定を6月末まで延期され、本来の予定から話数も短縮したという。また本作の舞台は2019年だったが、物語のラストは2020年の夏、世界中で新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、東京オリンピックが延期となった現実へと繋がる。本来なら本作は東京オリンピック開幕直前に最終回を迎え、志摩も「(オリンピックの)賛成も反対も全部ウイルスが飲み込んだな…」とは違う見解を述べていたのだろう。つまりこの作品もまた、「新型コロナウイルス」という「スイッチ」によって行き先を変えられたという訳だ。また本来なら「ドラマの最後で何の脈略もなく感染症が流行している」というトンデモ展開が、現在の視点だとスンナリ受け入れられるのは、それだけコロナ禍が我々にとっての日常と化している何よりの証なのではないかと感じた。

 

 

  • 最後に…

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社会問題を扱った本作はコロナ禍によって行き先を変えざるを得なかった。一方で本作は最後の最後にコロナ禍という現在の我々が進行形で直面している問題までをも見事に作品の中に落とし込んだ。そして世界の転換期までをも描いたドラマを、リアルタイムで視聴できたというのはとても幸せな体験だったと思う。

最後に野木さんがTwitterに投稿した脚本の写真からは「新国立競技場の『0』の字」という記述が確認できる。ラスト、志摩は「毎日が選択の連続。また間違えるかもな。まー、間違えてもこここらだ。」と述べ、伊吹は事件連絡を受けた無線に「ゼロ地点から向かいます」と報告する。本作には「ドーナツEP」「5円玉」「新国立競技場」など様々な「真ん中に穴の開いた物体」が登場した。これらにどんな意味を見たかは人それぞれだと思うが、最終回のサブタイトルにもなった「ゼロ(0)」だけは前向きな意味で受け取った。

 

(C)TBS

 

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