『トイ・ストーリー4』でバズ・ライトイヤーが「内なる声に従う!」と言ってボタンの指示に従ってた理由

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<注意>『トイ・ストーリー4』のネタバレ

『トイ・ストーリー4』のバズ・ライトイヤーは「内なる声に従うんだ!」と言って自分の音声ボタンを押してその声の指示に従った行動ばかりする。この演出に「『トイ・ストーリー2』の頃のバズは自分の意志で行動出来るおもちゃだったのに、何故こんな無能設定に!」と怒っている人が多い。自分は怒りとまではいかないものの違和感は感じていた。

 

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ただ冷静に考え直すと本作のバズがおかしい理由は明白だった。それは今までおもちゃの役割は「子供に愛され尽くすこと」だと信じ、子供から愛され遊ばれていた親友のウッディが「子供から必要とされなくなった状況」とそれに伴うウッディの心境から戸惑い自分がどう行動すれば良いのか分からなくなったのだろう。だからバズは劇中で「内なる声に従うのだ!」と言って自分のボタンの音声に従う事しか出来なかったのだと感じる。だからラストシーンで自分の声でウッディの新たな選択の背中を押す時は自分の声で言葉を放っているというのが感動的な演出となっているのだと思う。

 

<追記>

ウッディのいう「内なる声」をボイスボックスの声だと誤解して、自身のボタンを押していたという解釈も合わさるとより本作を理解できる気がした。

 

 

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ちなみに『トイ・ストーリー2』のバズがウッディを助ける事を明確な目的として行動出来ていたのはウッディは「アンディにおもちゃとして遊ばれ尽くしたい」という気持ちを理解し、アンディもそれを求めていると分かっていたからだろう。だから『2』で日本の博物館に行く選択をしたウッディにバズは「君はおもちゃだ!」と『1』でウッディが自分に言った言葉で叱った。しかし本作のボニーの子供部屋には「ウッディが本当に必要とされているのか?」「ウッディの居場所はココで良いのか?」という問いがバズ自身にもあったから、あの行動に陥ってしまったのだと考えられる。

 

 

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その根拠にバズが「内なる声」とか言い出して自分のボタンを押し始めるのはボニーから相手にされず役割を失いかけていたウッディが、「自分の役割だ」と言わんばかりにフォーキーを一人で守ろうと迷走して疲れを見せているウッディに助けの声を差し伸べようとしているシーンからだった。ハッキリ書けばフォーキーの事はみんなで協力して守れば良かった話だ。しかしウッディがそれをしなかったのはフォーキーを守る役割を任せればボニーの子供部屋にいる存在意義はなくなると怯えていたからだろう。バズはそのウッディの心境を察していたからこそ、ウッディが目的を失って空回りしている姿を辛く思いバズ自身もウッディの為にどう動くのが正解なのか分からなくなってしまっていたのだ。

 

<追記>

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2回目を鑑賞して思ったのが、『1』はバズが自分は本物のスペースレンジャーではない事を受け入れアンディのおもちゃとして新たな役割を全うする事を選ぶ物語だった。つまり「理想の自分」と「現実の自分」のギャップを受け入れて前に進んだ。そして『4』はウッディの「理想の自分」である「子どもに遊んでもらう」事が『1』のバズが自分がスペースレンジャーだと信じ込みたかったのと同じくらい「現実の自分」と乖離してしまっていた。だから『1』はバズの、『4』はウッディの理想と現実に折り合いをつける物語になっている。ただ『1』のバズは現実を受け入れる前に自分の理想を信じて空を飛ぼうとして飛べない自分という絶望をトコトン味あわせる。でも『4』でウッディの絶望描写は弱い。そこが本作の中途半端さだと感じる。

 

 

『トイ・ストーリー4』は各キャラの行動には歴代のピクサー作品らしく色々考えられた上で設定が作っていると思う。だからそれぞれのキャラの行動には考えれば必ず意味があるはずだ。ただ今までのピクサー作品はこういう風に考え込まなくてもストレートに面白い作品だったのになと残念に思う。

 

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