子供部屋おじさんウッディの前に昔の女が現れた『トイ・ストーリー4』の結末

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<注意>『トイ・ストーリー4』のネタバレ

ディズニー・ピクサー最新作『トイ・ストーリー4』を観たが、正直納得出来ない作品だった。

 

※当記事は公開初日時の感想です。現在は感想が変わっている部分も多いので、項目毎に追記しています。

 

  • 『トイ・ストーリー3』の結末

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※選択を迫られるウッディ

2010年に公開された『トイ・ストーリー3』でウッディはアンディの1番のお気に入りのおもちゃとして大学行きの箱入れられる。しかしウッディは大学行きの箱の中から、「子離れに悲しむ母親を慰める成長したアンディ」と「アンディを共に楽しませてきたおもちゃ友達の写真」を見る。恐らく本シリーズでウッディはアンディの父親的役割を果たしていたのだろう。だからウッディは成長したアンディを見て自分の役割は終わった、アンディを送り出してあげなくてはいけないと感じた。そしておもちゃ友達を屋根裏部屋に置き去りにすることも出来なかった。だからおもちゃ友達と共にボニーの家に行く決意をしたんだと感じる。

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※ボニーにウッディをあげる事を躊躇うアンディ

ただアンディは初めウッディを手放す事を渋る。多分アンディは子供時代の思い出の象徴としてウッディだけは手元に残しておきたかったのだろう。

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※アンディはボニーを信じてウッディを託す

でもアンディは「ウッディは覚えてないくらい昔から僕の友達だった。強いカーボーイで勇気があるんだ。優しいし、賢いし、でもウッディの一番凄いところは友達を見捨てないってとこ。絶対に、何があってもそばに居てくれるんだ。ウッディとも遊んでくれるかい?よろしくね」とウッディとの思い出を語り、アンディはボニーが「おもちゃを大切にしてくれる子供」だと信じてウッディを彼女に託す。恐らくアンディはウッディにとって自分と一緒に大学に行くより、おもちゃ友達と一緒に子供に遊んで貰えた方が幸せだとか色々な想いを持ってボニーにウッディを譲ったのだろう。こうして『トイ・ストーリー』はシリーズに幕を閉じ、いつまでも語り継がれる3部作の完結編として名作になるはずだった…

 

 

  • 『トイ・ストーリー4』でのボニー

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※この笑顔はどこへ…

アンディはボニーを信じてウッディを手放した。しかし子供は残酷だ。ボニーはウッディをアンディから「私のカーボーイ!」とか抜かして奪い取った割には劇中で1年も経たない内にアッサリと飽きて、ウッディの保安官バッチをジェシーに付け替えウッディはクローゼットの中で楽しそうに他のおもちゃと遊ぶボニーを眺めるだけの生活に陥ってしまっていた。(ただ「今週選ばれなかったのは3回目」みたいな会話もあって、実際1番お気に入りのおもちゃから降格しただけなのか本当に忘れ去られたのかはイマイチピンと来ない演出)勿論アンディもバズに心奪われウッディの扱いがぞんざいになった時期はあるし、所詮は5歳前後の幼稚園児なのだから現実問題こういう事はあるだろう。女の子としては同じカーボーイ人形なら、同性のジェシーのが遊んでいて楽しいというのもあったのかもしれない。ただ個人的にはいきなりアンディの想いが裏切られたような気がして、正直冒頭からナイーブになった。

 

  • アイデンティティクライシスに陥るウッディ

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※「あばよ、相棒」とアンディに別れを告げるウッディ

ウッディはボニーに対してアンディと同じ様に忠誠心を誓い、献身的に彼女の役に立とうとする。しかしウッディがいくらボニーの為に尽くしても、彼女の1番お気に入りのおもちゃにならないどころか遊んですら貰えない。その為ウッディはアンディとの楽しい思い出を懐かしみ辛くなり、自分の価値に悩み始める。挙げ句の果てにウッディはボニーにアンディを重ね過ぎるあまりに、劇中ではボニーの事をアンディと言い間違えてしまうシーンまで存在する。当然ウッディの置かれた状況や気持ちは理解は出来る。人間は一度気持ちを整理してケリをつけたと思った出来事も、新しい環境が思ってたのと違ったり、うまく適応できなかったりするとケリをつけた出来事の場所まで気持ちが戻ってしまうことがある。そしていつまで経っても心の中でその件がシコリとして残ってしまう事などいくらでもある話だ。

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※ボニーが幼稚園で作った先割れスプーンのおもちゃ

自分の存在価値が危うくなったウッディは「ボニーのおもちゃ」として役に立とうと、彼女が1番お気に入りにしている手作りおもちゃのフォーキーを守るのが「自分の役割」だと盲信してバズの助けの声も聞こえなくなるくらい迷走する。ここら辺のシーンはコメディタッチで描かれているので面白いが、観ていて辛さも感じたシーンだ。

 

  • 悩めるウッディの前にかつての女・ボーが!

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※全国の子供部屋おじさんに訴えかけるボー(嘘)

今後の人生に悩むウッディは、色々あってかつて恋人関係にあったボーと再会。そこで彼女はウッディに「まだ子供部屋にこだわるの?世界はこんなに広いのに!子供は大勢いる。あなたも変われる」と新興宗教の教祖みたいにありがたい教えを説いてくる。

 

<追記>結果的にこのシーンがウッディの最後の選択理由に対してのミスリードになっていて、結構な人がボーのこのセリフの考え方に感化されてウッディが最後の選択をしたと誤解をしているのが残念。

 

 

  • ウッディは「おもちゃ」としての役割を捨て…

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※ウッディが輝ける場所は…

『トイ・ストーリー』シリーズの1作目は自分が本物のスペースレンジャーではないと知り落ち込むバズに対してウッディは「おもちゃ」として子供に楽しんで貰える事がどれだけ価値のある役割かを説いた。2作目ではブランド品としておもちゃ博物館に展示される人生より、仮に持ち主の子供が大人になり捨てられる運命にあるとしても最後まで子供のそばにいて楽しませる事が役割だとウッディは再認識した。3作目ではウッディはアンディと大学へ行く道を蹴り、自らの意思でおもちゃ友達と新たな子供の家に行きボニーを楽しませようとおもちゃの役割を全うする事への拘りを見せた。しかし4作目のウッディはおもちゃとしての役割を捨てる事を選ぶ。(※当ブログでは後にウッディはおもちゃとしての役割は「捨ててない」と意見を変えました)勿論今まで生まれながらの役割だと思い込んでいたモノから解放されて、新たな道を選択した事で「ボニーから全く遊んで貰えない環境」という居場所のない居心地の悪さや寂しさ、辛さなどマイナスな感情から解放されて自由にイキイキとするウッディの姿は羨ましかった。

自分は抑圧された環境から自分の意思で這い上がる強い人間の姿を描いた作品は映画に問わず好きだ。だから現在大ヒット上映中の『アラジン』のジャスミンの『speechless』には涙したし、高く評価した。しかし何故か本作のラストには素直に感動出来なかった。

 

<追記>本作はウッディがボニーの子供部屋に居場所がないという状況がイマイチ演出しきれてなかったのが、最後の選択の意味を弱めてしまっているのだと思う。

 

  • ウッディの本当の想いは?

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※ウッディと同じ想いを持つギャビー・ギャビー

本作のラストを観て気になったのはウッディは持ち主であるボニーに対して無言で消える事への葛藤が殆ど無いのと、ボニーがウッディが消えた事に対して全く気付いていないという事だ。特に後者への違和感は大きい。コレは個人的な憶測になるが、ウッディのおもちゃとしての哲学は「持ち主に尽くす事」だということは変わっていないと思う。それはギャビー・ギャビー絡みのシーンからも明らかだ。だから仮にボニーの1番のお気に入りのおもちゃでなくても、定期的に遊んで貰える存在、少なくともフォーキーと共に無くなった事に彼女が気付き悲しんでいる様子を確認したら今回の選択はしなかったはずだ。でもウッディは自分の哲学を捨てる選択をせざるを得ない状況まで精神的に追い込まれた。フィクションの世界の幼稚園児にこの様な事を書くのもバカらしいが、ウッディから「おもちゃとしての役割」を奪ってしまったボニーの責任は重く感じる。その為本作を観た後に『3』を観返すとアンディがボニーを信じてウッディを手渡す感動シーンで「アンディ!ボニーはダメだ!ボニーはウッディに飽きて、彼を大切にしないで傷付けてしまう!」と全力で止めたくなってしまう事だろう。アンディ、長期休みで実家に帰省した時にボニーの家に遊び行ってウッディいない事に気付いたら絶対悲しむよ!どうして製作陣は『3』のラストシーンを別の意味で泣けるシーンとなるような『4』を作ったのか理解に苦しむ。ボニーなんか『トイ・ストーリー』史上1番の憎まれ役みたいになってるよ!

 

<追記>このエントリーを書いた後に『トイ・ストーリー』は「子供はおもちゃを飽きて捨てる」が常に提示されていたシリーズだから、ボニーを責めるのはおかしいと思い始めた。ただ『3』から大して時間が経っていないのと短編作品での描写から無理くりそういう設定にした感があるのはやっぱり残念。

 

 

  • 最後に…

繰り返しになるが個人的に抑圧された環境からの解放というテーマは好きだ。しかし『トイ・ストーリー4』は今までのシリーズでウッディが訴えてきた哲学を全否定するラスト(※当ブログでは後に全肯定と意見を改めています)となっていて、逆に窮屈に感じた。そしてその選択をさせたのは、アンディの想いを裏切りウッディを大切にしなかったボニーだ。そして結果的に『3』の感動シーンすら台無しにしてしまったのだから罪深い。

しかもフォーキーを救う一連のシーンやおもちゃ達が人間の車を運転するシーンなど過去のピクサー作品の焼き直し感すらあって過去シリーズほどの面白さも無い。正直スピンオフ作品感もあったし「作らない方が良かったのでは…」と感じざるを得ない作品だったというのが公開初日に観た直後の感想だ。別れのシーンも『3』に比べて「上映時間が終わるから巻いて!」と指示でもあったのかと思えてしまうくらい雑だったのも残念だった。

でも自分は『トイ・ストーリー4』を『トイ・ストーリー』の4作目として受け入れる。受け入れたくなくても受け入れなくてはいけないのが人生なのだろう。ピクサーならこの結末でも上手くやってくれると信じてたのにな…

 

  • 追記

『トイ・ストーリー4』のラストに込められたメッセージについて考えたエントリー。当エントリーではウッディの選択をシリーズの全否定と書いてしまったけど、改めて考えるとアンディとの思い出を忘れられないまま報われないおもちゃを子供と繋げる運動に精を出すビターエンドな気もするということを書いたエントリー。つまり本作のラストはある意味シリーズを通して描いてきたウッディの哲学の全肯定しているとも言える。

 

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