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「#今度は福島がTOKIOを応援する番だ」について深夜に1人考えたこと

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した事は消えない。
でも、してくれた事も消えない。
#今度は福島がTOKIOを応援する番だ

深夜にこの#がトレンドの1位を飾り、このツイートが目に入った。今「TOKIO」はとても厳しい立場にいる。だからこそ今「TOKIO」が今まで福島に対して活動してきたことを再認識し、今までの恩を返そうという#のようだ。確かにこのツイートは自身の胸にも刺さり、この#の付くツイートを読んでいくと自然と涙が出そうになる。ネットに生身の人間の血が通っているのを肌で感じ、このような#が生まれて多くの人がこの#に共感して共有することでTwitterでは「TOKIO」を応援するツイートに溢れている。これはネット社会だからこそ起きたことでいいことだとも思っている。自分は初めはとても温かい気持ちで多くのツイートを読んだ。

しかし今回の事件には被害者がいるがこの被害者がどんな人間かは分からない。そして今回の事件について明かされている情報がどの程度正確なのかは分からないしそもそもの情報量も少ない。それを大前提にして被害者のメンタルが不安になる。世間では「部屋に行った女も悪い。自業自得の側面もある。」などという意見がある。これに対して「被害者は全く悪くない。」と意見する者もいる。ただ自分が1番不安になるのは被害者自身が「自分があの時部屋に行かなければ…」と自分を責め始めないかということだ。もちろん被害者には家族や友人などの味方になってくれる人もいるだろう。そして今回の被害届を出すまでにこれから起こることもある程度覚悟していたとも思う。しかし実際ここまで大きな事件となり、テレビを付けたら辛そうな表情のTOKIOの4人が画面に映り今までのTOKIOの功績が語られている。もし被害者が自分なら「自分が我慢すれば良かったのかな?」と被害届を出したことが間違っていたのではないかと悩み始めてしまうだろう。そして本来なら自分を守るためにした正当な行為が大きな過ちだったのではという考えが頭から離れなくなってしまいそうだ。何故ならどう考えても自分の価値よりTOKIOの価値のが高いと思わずにはいられないからだ。でも自分が被害届を提出したせいでTOKIOが終わるかもしれない引き金を引いたと思わないで欲しい。自分が被害届を提出したことは正しいという事を忘れないで欲しい。

ただここに書いたことは全て自分の憶測でしかない。TOKIOには頑張ってもらいたい。そして今まで応援されてきた福島の人がTOKIOを応援したい気持ち、ファンがTOKIOを応援したい純粋な気持ちも理解でき、さらにその姿に共鳴して多くの人がTOKIOの為に声を上げることはとても美しいことなのだとも思う。ただ被害者が自分が被害届を出した結果に対して、世間の目を気にして、顔の見えないネットの書き込みに怯え自分の周りにいる人を信じられなくなり自分を責め始めないか… それが凄く不安になる。今自分はこの2つの感情の間に行ったり来たりしている。この#はとても複雑な問題を抱えているように感じる。そしておそらくこの問題の答えは一生分からないのであろう。